紫色に艶めく、アフリカ彫刻。
貴重な紫檀、美しい河馬。
滑らかなソープストーン製。
民族的な後ろ姿。
毒親、何とも嫌な言葉である。毒蛇、毒虫、毒草、毒薬…毒と付く言葉は、どれも邪悪で禍々しい響きを放つ。今は情報が豊富で、簡単に専門的な知識が手に入るから、素人判断で精神の病や傷の断定をしてしまう人が増えているように思う。それが為に自ら人生を暗いものにし、敢えて親云々に縛り付けて動けなくしてしまうのは勿体無い。狂おしく偏った親に育てられる、または育てられた苦しみは、経験した私には理解できる。厭世観に苛まれ、半分死んでいるような投槍な人生。それは経験した者にしか解らない、暗澹たる絶望と悲壮である。そんな私が親という立場になり、親の目線を持った時に解った事がある。私の母も、若くて未熟で、不安な母親だったという事実だ。彼女なりのあらゆる感情を満載にして、子供と向き合っていたのだろう。戦後の騒乱の中に生まれ育った世代は、生き抜くのに必死で愛情表現など出来ない親に遠慮して生きてきた。どうやって子供に愛を伝えれば良いのかも知らず、自分のして貰えなかった事を子供にしてやりたい一心だったに違いない。過保護、過干渉、愛情表現の欠如、精神不安。彼女の幼少期を想像すれば、その全て合点がいく。彼らは親だが、その前に同じ人間である。この歳になるまで親という存在を、崇高で人間離れしたもののように錯覚していたが、それを理解できた時に全てが許せた。かく言う私も、決して完璧な親ではない。魂のレベルが格上な息子の深い愛情の元、何とか親らしい顔をしている。それは幼少期の私に重なるものがある。子は絶対的に親を許し、受け入れ、愛している。それ故に、憎悪に急変する危うさを孕んでもいる。毒親という、悪魔の囁きのように邪悪な言霊に惑わされてはいけない。思い返せば、母は昔から不意に、私にだけお土産を買ってきてくれる。石で出来たインド製の小さな宝石箱。掌に収まる小鳥の土笛。硝子の嵌った指環。光が透ける薄い貝殻の小箱。貴女が喜びそうな物があったのよ!と。そんな時の母の無邪気で可愛い笑顔が大好きだった。あの笑顔に嘘はなく、だから私は生き抜けた。年老いてからも、やはり小さな可愛い物を世界中から持ち帰って来てくれた。アフリカのどこまでも高い蒼天の下、小さな河馬を見つけた時、真っ先に私の喜ぶ顔が浮かんだそうだ。紫檀のは自分用だったのに、結局それも私にくれてしまった。それらを私は今でも大切にしている。言葉や態度では1ミリの愛も表現できない母の、最大で精一杯の愛情表現なのだから。
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