脱断捨離、幸せなマキシマリズムに生きる

幸せの方法

大きなウエストミンスターの巻時計。

毎朝、全部の時計の時刻を合わせる。

カバーの奥のテレビ、年に一度だけ。

居るのが当たり前、誰も怖がらない。

私の敬愛する麗人の一人である、美輪明宏氏。氏の名言は数あれど、人間保護色という言葉は言い得て妙である。ふと道すがら擦れ違う人でさえ、その人の住まいや職業のようなものが、そこはかとなく漂っている。まるでカメレオンのように、人間は周りの環境と同じ色になるというのは真実だ。朱に交われば赤くなるとは古から伝わる言葉だが、付き合う人間にも、案外と容易く染まってしまう。だからこそ、過ごす場所や使う道具、身に纏う衣装や宝飾品、付き合う人や使う言葉は選ばなくてはならないという。最近流行りの断捨離やミニマリズムだが、中には度を越した異様さを感じるものが散見されるようになった。必要最低限の住空間の中で極限まで削ぎ落とした品物に囲まれて過ごすのだが、まるで修行僧のように思う時がある。物が増えれば罪悪感に苛まれ、街で素敵な品物を見つけても自らを律し、何かを未だ欲しがる自分を責め、一つ買うならば一つ捨てねばならぬという教えに則り、その素敵な品物に別れを告げて件の住居に帰宅する。もう余命幾許もない身ならば、死に支度をせねばならないのだから解らなくもない。まだまだ人生を楽しく生きて行ける人ならば、色々な欲を持って生きれば良い。自分が好きな物に自信を持って固執して、周りが呆れようが笑おうが気にせずに楽しめば良い。誰に遠慮もいらない。好きな物に囲まれ、好きな衣装を着て、好きな物で身を飾れば良い。必要な物の量は人それぞれ、茶碗一つあれば足りるガンジーもいれば、溢れかえる銀食器でもまだ足りないマリー・アントワネットもいる。貴方は貴方、私は私、あの人はあの人、なのである。何かの教えに傾き過ぎるのは危険な事で、新興宗教で一家離散や破産の道を辿った人々とよく似ている。幸せの為に始めた筈が、傾き過ぎて破滅を招く。自らの品物では飽き足らず、家族の品物も断捨離し、果ては家族までもを断捨離し、別居や離婚を誇らしげに宣言している最終形の人もいる。若い人であれば、恋人も結婚も断捨離の対象になる。何もない部屋に同じ服を何着か並べて、寝袋で休む。鞄一つを財産に、身軽で研ぎ澄まされているという事らしい。先の人間保護色という話に戻ると、一体どんな色に見えているだろうか。修行僧を見て、この人って面白そう、どんな趣味でどんな音楽を聴くのかしら、あの衣裳も素敵で魅力的、どんな住まいで何をしている人なのかしら、と思う人はそう多くはないだろう。修行僧がどんな場所でどのような修行の日々を過ごしているか、人は一瞥して解ってしまうのだから。修行僧は修行の名の下に精進していて、それが仕事なのだから格好良い。私達は違う。美輪氏曰く、ミステリアスな人間は魅力的で、そのミステリアスは如何に引き出しを数多く持っているかに掛かっている。修行僧の引き出しは少なくてはならないが、私達の引き出しは多くて良い。むしろ多ければ多いほど、魅力的だ。世界的に著名な芸術家達は、揃いも揃って固執狂だし、彼らを取り巻く環境は実に鮮やかで、多種多様の雑多な物が常に過積載である。だからこそ、多種多様なアイデアが沸き起こり、常に人々を魅了するのだ。私の美しい友人は断捨離に傾倒し、毎日何かを捨てねばと盲信し、何もない部屋を見回しては、まだまだ捨てなきゃと呟いていた。そのうちに彼女は、夫や子供までもを足手纏いに感じ始め、ハンサムな夫に苛立ち、子育てを楽しめなくなり、最期は心を病んで居なくなってしまった。ぽっちりと遺された品物を整理しながら、口数の少ないご主人が呟く。一体、何が彼女を変えてしまったのか、まるで別人のようになってしまって、なす術が無かった。結婚式の写真が出てきて、手が止まる。美しい、本当に美しい彼女の姿。このままで良かったのに。このままが良かったのに。だから私は、好きな物に囲まれて生きたいと思うようになった。一度きりの人生を、色鮮やかに目移りしながらミステリアスに生きよう。断って捨てて離れるばかりの人生より、適度に得て楽しんで愛しむ人生が良い。私の色?何色とも形容出来ない、何色にも輝くミステリアスな色に見えれば良いと思っている。

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